フェーズフリーとは
ふとしたときに災害を思い出し、犠牲者を悼み、心を痛める。
いつかまた災害は起こるかもしれないし、明日は我が身かもしれないけれども、それでも私たちは今日を生きるしかない。
小さな私たちには災害をなくすことも出来ない。いつ来るか分からないから、準備するのも後にしてしまう。なにより今、私たちには生活がある。
こうした私たちの現実をありのままに見つめることから「フェーズフリー」は生まれました。
普段からヘルメットを持ち歩くことも出来ませんし、安全靴で通勤もできません。
でも実は、私たちの身の回りには「他より少し用途の広いモノ」「いざという時に別の使い方ができるモノ」があったのです。
ところがこうしたモノたちはこれまで評価されてきませんでした。
言葉がなかったのです。
そこで我々はこれを「フェーズフリー」と呼びます。
普段から当たり前に使えて、災害時にも便利に使えるモノ。
それを持っていただけで、もしもの時にも救われるモノ。
イツモからモシモまで使えるモノ。
無視するのでも、備えるのでもなく、ただ纏う。
あたり前にそこにあることで、あたり前に暮らしを良くしたい。たとえそれが当たり前の状況ではなくなったとしても。
それがフェーズフリーの願いです。
この国は災害が多い国です。春に大雨、夏に猛暑、秋に台風、冬に大雪。地震と津波。
それでもここには大切なものがあって、守りたい生活があって、一緒にいたい人がいる。フェーズフリーはこんな当たり前の毎日に寄り添います。